ご存知の豊臣秀吉という人、あのように異常な出世成功したのも、
他人に好かれるという要素があったからです。
武家本位の時代です。名家名門に生まれた者でなければ、
どんなに手腕があろうと出世ができなかった時代です。
下克上とは後から称された結果論のことなのです。
そんな時代にも名もない水呑百姓の子に生まれながら、
天下に志を立てて20年で、天下統一を果たしたことは、
もうどんな人でもご存知のことです。
人々の多くは、あの時代に異常な出世をした秀吉は、
何かよほどの運命に恵まれた人間であるかのごとく考えていることでしょう。
主人の信長が死に、光秀が敵にまわりこれを滅ぼし、
勝家が老いぼれてというようにトントン拍子に天下をとるなんて、
よほど運のいいご人だと、たいていの人は思っています。
なるほど、そういう面から観れば、秀吉はラッキーボーイだと
言えなくもありません。
しかし、そこまでになるまでの秀吉の一切を完全に作り上げたものは、
秀吉自身、他人に好かれる要素があったからなのです。
明智光秀という人は、美濃の国の斉藤道三の縁戚であり、学問強要があり、
軍略兵法に長け、戦が非常に上手く、しかも射撃の名手でした。
これだけ条件が揃っていれば一番先に頭角をあらわすはずにのですが、
他人に好かれるという要素が極めて少なかったのが災いしたのです。
主人の織田信長という人は歴史で習ったように、戦にはめっぽう強かったけど、
わがまま勝手で非常なかんしゃく持ちだったようです。
その乱暴な主人に仕えた秀吉の「他人に好かれる要素」というものは、
ありがたいもので、ずいぶんと失敗もしたけれど、「阿呆」という
信長の大喝だけで済んでしまったようなのです。
あるとき大番頭の柴田勝家が、他の家来たちの思惑も考えて信長をいさめたところ、
「オレはあいつが好きだ」
と言って、信長はニッコリ笑ったと言います。
理屈はないんですね。
このようなことを考えてみると、もちろん、経験も学問も手腕も必要なものには
違いないけれども、まず第1番に「自分としいものが誰にも憎まれない」、
「誰からも好かれる人」にならなければダメだということです。
好かれてはじめて一切のすべての者と、たいした努力をしなくても
解け合うことができるようになり、自分の思い描く幸福な人生に
生きることができるようになるのです。
しかし、これはわけないことのようで、なかなかわけなくないことなのです。
その証拠に、「ああそうか、それなら」と自分にその気持があっても、
どうすれば好かれる人間になれるかということがわからない限り、
そうはなれないでしょうね。
どうです、あなた・・・。
『君に成功を贈る』
中村天風(日本経営合理化協会出版局)2001年11月発行
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他人に好かれるということを、お客さんに好かれると勘違いしている方もいます。
そりゃ、お客さんに好かれないことには、どうしようもないのですが、
どうも、お客さんに愛想を振りまく反動なのか、納入業者に辛くあたる料理人さんがいます。
厳しい世界を修業していた方々ですから、甘ったれた人情なんて
縁がなかったのかもしれません。
料理の腕さえ磨けば何とかなる、と思ってここまで頑張ってきました。
そんなプライドもあろうかと思いますが、およそ納入業者を
見下す方が多いのです。
しかし、そんな方のお店が繁盛していることはありません。
繁盛の神は、お客さんにも業者にも好かれる人間にしか寄り付かないようです。